漱石、お金、そして寄付 ~漱石山房記念館オープン~

慶應義塾保険学会常務理事

蟻川 滋(元 明治安田生命)

 

 

 『吾輩は猫である』の夏目漱石が晩年に住んだ家の跡地に東京都新宿区が漱石山房記念館を9月24日オープン。漱石に関する諸資料の収集・管理・展示はそれぞれ各地・各施設でなされているが、本格的な記念館は全国初と言われる。今年2017年は生誕150年。生まれたのは現在の新宿区喜久井町1番地、地下鉄早稲田駅近くで生誕100年記念の黒御影の石碑が建立されている。漱石山房通りと呼ばれる緩やかな上り下りの道を5,6分歩くと早稲田南町7番地の「漱石公園」と一体となった当記念館に到着する。

 

 漱石が晩年9年間を過ごし数々の作品を執筆した「漱石山房」は空襲で焼失、跡地に都営住宅が建ち、のちに新宿区へ移管、移転。ここに新宿区立漱石山房記念館が開設。建築面積は約548㎡、延床面積1,276㎡、鉄筋コンクリート造、地上2階、地下1階。旧山房をそっくり復元したのではなく、記念館の中に書斎、客間、ベランダ式回廊等を再現した。漱石の生涯や人物像、作品の世界、木曜会に集まった弟子達の紹介などの常設展示、そして特定テーマの企画展を随時開催する。建設・運営の基本方向は、文学館としての質の高い活動を行なうための設備等を整備し、利用者、地域にも開かれた記念館を目指し、さらに他機関との連携を重視することとされている。持続的来館者維持のためには、展示内容・資料収集や研究拠点として一層の充実を図ることは勿論、ゆったりと街歩きの核となる場としても併設のブックカフェ「CAFE SOSEKI」を定着させるなど試行錯誤を繰り返し最適解が求められていくことが期待される。

 

 漱石には新聞小説が多く、その時代を強烈に意識して物語を展開させ、住んでいる場所や身近な社会現象などを具体的に表現。そうしたことを引っくるめて、文豪のイメージとは違い漱石ほど作品や文章でお金に言及した文学者はいない。夏目漱石の信託(金銭)に関するエピソードとして、夏目鏡子夫人の『漱石の思い出』によれば、岩波書店が創業当時のこと、岩波が3,000円の融通で漱石を頼った。家に現金がないから銀行で株券を担保に資金を調達し貸すことにした。鏡子夫人は、どちらかが欠けても第三者に分かるように契約していただきたいと申し入れ、漱石はあまり気が進まなかったが結局、契約は契約として手続きをして株券を渡したという。お金に無頓着で呑気な性分の漱石に対して夫人がしっかり契約した。また新家庭を築いた熊本では、大学時に貸費生だったので、それをバカ正直に毎月7円50銭返却していたという。ところで漱石は我が国で初めて本の印税率を前もって決めて出版社側と契約を交わした作家であり、現代の契約社会を先取りするほどの合理性の持ち主でもあった。一方で多くの弟子たちに厖大なお金を借り倒されているという面もあった。

 

 2000年に漱石の肖像が千円札に決まった時、漱石は千円札によく似合うとか漱石は喜ばないとかいろいろと話題になった。国立印刷局によると、肖像となる人物の選考基準はこれといった決まりはなく、関係者で協議、日本銀行法による財務大臣の決定となっている。諸候補者から漱石が選ばれた理由はロンドン留学の功績が大きい。世界に通用する通貨として、「国際的な人物」が重要視され、福沢諭吉、夏目漱石は即決だったそうだ。痛快青春小説と言われる『坊ちゃん』には、お金を借りて返却の時の気持ちなどが表現されている。自伝小説『道草』には、お金が様々な意味を持っていることやみんなお金が欲しいのだという文章にまで表現され、NHKドラマ「夏目漱石の妻」(2016年)に漱石が幼少期に養子に出され、また戻るのであるが、その養父母に大人になってからお金をせびられると言うシーンが載録されていた。このように漱石のお金へのこだわりや考え方が作品の中で多々描かれている。

 

 本名金之助の由来は、俗信で昔から庚申の日の申の刻に生まれた者は大泥棒になる、それを避けるためには名前に金の字か金偏の字を選んで名付ければ良いというので金之助となったと伝えられている。慶応3年正月5日生まれであり、申の日申の刻の生まれにあたる。

 

 会社退職後、縁あってN大学で、10余年にわたり学生おおよそ延5,000人へ保険関連の講義をしている。年間カリキュラムの中の「保険の歴史のうち、我が国の保険草創期」の章のところで福沢諭吉とともに夏目漱石を取り上げてきた。『吾輩は猫である』に書かれている生命保険についてはかつて当コラムで触れたので詳細は略すが、この時期に生命保険会社協会が設立され、保険が普及してきたことを学生と共に考えてきた。漱石は保険の効用や保険が経済にとっても必要なことは認めていたようだ。

 

 毎年猫の講義を続けていたところ2013年、在住の新宿区広報紙に夏目漱石記念施設整備基金の募集が始まるという記事が目にとまった。一回分の講師料×10余年分位は漱石基金に寄付をしても良いのではとの思いに至り、講師料の一部を貧者の一灯でささやかではあるが寄付をした。ちなみに寄付受付は開館後も引き続き継続されている。保険関係の寄付と言えば、明治生命の創業に関わった阿部泰蔵初代頭取の退職に際して、我が保険界に尽くした功績が讃えられて業界を超えた経済界から祝いの会が盛大に行なわれた。すなわち阿部泰蔵君表彰式(1916年)。その際、集まった拠金のうち経費を除いた全額を慶應義塾図書館に寄付、逝去後にさらに優子夫人が追加寄付された。当時は多くの保険会社の経営者が寄付をしていた。最近では、当慶應義塾保険学会前理事長の庭田範秋先生が亡くなられたとき芳子夫人から慶應義塾と当保険学会に多大の寄付がなされている。

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